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葬儀以後の仏事 ①

法事の本当の意味と、こころえ

法事とは、仏法の行事全体のことを表しますが、一般的には御本尊に感謝の供養をし、亡くなった人の冥福を祈ることを言います。冥福を祈るとは、現世に遺された人が死者の幸福を祈ることです。これを別の言葉で、追善供養と言います。


「追善」とは、亡くなった人の為に、あとから追って善い行いや福を捧げることで、その為に「供養」が行われます。これを合わせて追善供養と言います。


「供養」とは、第一に、敬い拝む心が根本であり、その心で、お経を読み、仏法の話を説き聞かせてもらい、仏様に、香や花や、食物、灯明や水、その他亡くなった人の好んでいたものをお供えすることや、お経の中に説かれてあることを思いながら写経などをすることです。


第二に、お経に説かれてあることを守り善い行いをすることが大切です。このことにより、その福と善とが巡り巡って亡くなった人の所へあとから追ってゆき、功徳と利益(りやく)をうけることができます。


したがって追善供養の元々の精神は、亡くなった人が遺して行った善い行いの結果をできるだけ尊重してこれを受け継ぎ、更に大きくするように努めると共に、反対に亡くなった人が遺して行った悪い行いの結果は、生きている近親や有縁の人達の供養の積み重ねによってできるだけ少なくし、できれば跡形もなくなるようにして、来世の楽と利益を得させてあげるということです。


お経の中には、

「若し父母兄弟死亡の日にはまさに法師をたのみ、仏の説いたお経を読んで亡者をたすけ、もろもろの仏にまみえて、人天に生まれることができる」と書いてあります。


また、「若しその上に、身体が死んで後に、七七、四十九日のうち、家族の人達が善い行いをするならば、それにより死者はあの世においても悪い所、苦しい所に行く事なく、人間界、天人の世界などよい所に生まれて、大変すぐれた楽しみをうけることができるし、またその善い行いの結果として、今生きている家族親戚縁者の人々も、はかり知ることができない程大きな利益をうける事ができる」とあります。


人間は死後どこへ行き、どのようになるかということは、凡夫の私達には判りません。人間のすべては、土や水、大自然の中へ還り、すべてが消えてしまうのでしょうか。多くのお経の中には、修行を積んで悟りをひらいた目でみたあの世のこと、人間の魂のことが示されています。その中でも、大切なことは、死者の、肉体はともかく、その人の生前の行いの結果は、いつまでも消えることなく、はっきりとこの世に遺っているということです。


この行いの結果を仏教では、「業(ごう)」と言い、例えば、妻を娶り子供や孫をつくり友人や知人と接し、仕事をしたこと、そして社会や他人や、動物や、その他、縁を結び何らかの関係をもった人や物に及ぼした影響など、すべて「業」として遺っています。


死者の命日や忌日に、親類縁者や故人とつきあいの深かった人達が集まって、故人の残した善行をよろこび、また悪業消滅への供養をささげることにより、故人と自分とのつきあいを思い、故人に感謝し、それを自分自身のよりよき明日への進歩発展の資としてそなえること、ここに法事追善供養の本当の意味があるのです。


法事は、ただお金をかけて盛大に行えばよいというものではなく、先祖や故人への心の追善が主体となるものです。経済的なことは、自分たちの日常生活に応じて行えばよいので、先祖や故人に対しての感謝の気持ちを大切にすれば、集まった友人知人・参詣者などにも自ずから通ずるものです。


たとえば庭に咲いた花を供えてつとめる法事でも、大変気持ちよくお参りができる場合もあれば、またその反対の場合もあるということは、法事にお参りした人々の皆の思いあたることではないでしょうか。


〈顕本法華宗 法式研究所〉

“仏事あれこれ”については、総本山妙満寺第302世貫首 古瀬堅徳(日宇)猊下(1917~2003)著書、『法事と戒名のすべて』(有)技興社発行を参考に掲載しています。

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