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法事の意味と心得


法事とは、仏法の行事全体のことを表しますが、一般的には御本尊に感謝の供養をし、亡くなられた人の冥福を祈ることをいいます。

冥福を祈るとは、現世に遺された人が故人の幸福を祈ることです。

これを別の言葉で、追善供養(ついぜんくよう)といいます。

「追善」とは、亡くなられた人の為に、あとから追って善い行いや福を捧げることで、その為に「供養」が行われます。これを合わせて追善供養といいます。

「供養」とは、第一に敬い拝む心が根本であり、その心でお経を読み、仏法の話を説き聞かせてもらい、仏さまに香・花・灯明、食物や水、その他亡くなられた人の好まれていたものをお供えすることや、お経の中に説かれてあることを思いながら写経などをすることです。


第二にお経に説かれてあることを守り、善い行いをすることが大切です。このことにより、その福と善とが巡り巡って亡くなられた人の所へあとから追ってゆき、功徳と利益(りやく)をうけることができます。


したがって追善供養の元々の精神は、亡くなられた人が遺して行った善い行いの結果をできるだけ尊重してこれを受け継ぎ、更に大きくするように努めると共に、反対に亡くなられた人が遺して行った悪い行いの結果は、生きている親類や有縁の人達の供養の積み重ねによってできるだけ少なくし、できれば跡形もなくなるようにして、来世の楽と利益を得させてあげるということです。

人間は死後どこへ行き、どのようになるかということは、凡夫の私達には判りませんが、大切なことはその人の生前の行いの結果は、いつまでも消えることなくこの世に遺っているということです。


この行いの結果を仏教では、「業(ごう)」と言い、例えば、妻を娶り子供や孫をつくり友人や知人と接し、仕事をしたこと、そして社会や他人、動物、その他、何らかの縁を結んだ人や物に及ぼした影響など、すべて「業」として遺っています。


故人の命日や忌日に、故人とつきあいの深かった親類縁者が集まって、故人の残した善行をよろこび、また悪業消滅への供養をささげることにより、故人と自分との縁を顧み、故人に感謝し、それを自身のより良き明日への進歩発展の糧としてそなえること、ここに法事の意味があるのです。

法事は、ただお金をかけて盛大に行えばよいというものではなく、先祖や故人への心の追善が主体となるものです。経済的なことは、自分たちの日常生活に応じて行えばよいので、先祖や故人に対しての感謝の気持ちを大切にすれば、集まった友人知人・参詣者などにも自ずから通じるものです。


たとえば庭に咲いた花を供えて勤める法事でも、大変気持ちよくお参りができる場合もあれば、またその反対の場合もあるということは、法事にお参りした人々が思いあたることではないでしょうか。

葬儀以後の主な法事

(1)四十九日忌法要(しじゅうくにちきほうよう)


死後四十九日の間を忌中(きちゅう)または中陰(ちゅういん)・中有(ちゅうう)といい、この期間は故人が次の命に生まれかわる大切な時に当たるので、七日目ごとに追善供養をつとめて、故人の冥福を祈ります。


四十九日「中陰」「中有」の祭壇は、葬儀当日に葬儀社で用意をしてくれます。

祭壇の中央に白木の位牌と遺骨を安置し、また、正面に故人の遺影を飾ります。
その前に香炉・花立て・燭台(ロウソク立て)(以上の三つを三つ具足といいます)を置き、お供えには、白餅を一対供える所もあれば、また白木の膳で霊供膳(りょうぐぜん)を供える所もあります。また茶碗に水を入れ、樒(しきみ)の葉を一枚そえておき、拝むときにこの葉に水をつけてご霊前にそそぐこともあります。


線香は、四六時中絶やさないようにする為、長時間もつ「巻き線香」を使うこともあります。
線香を供える際には、四十九日の間に限っては、一本線香といって、二本三本と一束にせず、一本ずつ立てます。しかし、就寝の際や祭壇から離れるときには、火事にならないようにロウソクや線香の火を消しておくようにしましょう。

この四十九日の祭壇を祀るのは「忌明け」のときまでで、それ以後は片づけてしまいます。このとき、遺影も片づけるか、または仏壇の外に掲げる所があればそこにかざります。役目を終えた白木の位牌や祭壇の仏具などは、菩提寺や葬儀社に連絡し引き取ってもらい、供養(お焚き上げ)をしてもらいます。

四十九日の間、家にある仏壇の扉を閉める慣習がある地域もありますので、四十九日の仏壇の祀り方は菩提寺にお尋ねください。
一般的にこの間が喪に服して、何事にもつつましく過ごす期間に当ります。忌明けのときは、「精進落し」「精進はらい」などといい、普通の生活に戻ります。

まず第一回目は亡くなられた日を一日目として七日目にあたる日につとめ、それ以降はその日より七日ごとに供養して、第七回目の七日目(七日×七回=四十九日)まで供養をつづけます。

この四十九日までの法要は、


・初七日忌(しょしちにちき・しょなのかき)


・二七日忌(にしちにちき・ふたなのかき)


・三七日忌(さんしちにちき・みなのかき)


・四七日忌(ししちにちき・よなのかき)


・五七日忌(ごしちにちき・いつなのかき)


・六七日忌(ろくしちにちき・むなのかき)


・七七日忌(しちしちにちき)


※七七日のことを四十九日(しじゅうくにち)または、満七日(まんしちにち)・満中陰(まんちゅういん)ともいいます。
この四十九日の供養で「忌(いみ)」が明けるので、この時に「忌明け(きあけ、いみあけ)」の追善供養を行います。また、地域によっては、逮夜(たいや)といって忌日の前日に法要を行うこともあります。

※四十九日が三ヶ月にまたがる場合に言葉の響きから、来世でも四十九「しじゅうく(始終苦)」が三月「みつき(身付き)=身に付く」ということで、取り越して五七日に忌明けの法要を行うこともありますが、迷信的な習慣ですので、特に意識せず、四十九日に合わせ執り行うことがよいでしょう。
この法要を行ったあとは通常の生活にもどります。


(2)初月忌(しょがっき・はつがっき)

四十九日の間に、命日が一回あります。命日というのはその人が亡くなられた日の事であり、この日は故人の追善供養を勤めます。例えば、十月五日に亡くなられた人の命日は、毎月五日となります。従って命日は一年に十二回あり、死後はじめての命日を「初月忌」といいます。



(3)百ヶ日忌(ひゃっかにちき)

亡くなられた日より数えて百日目に追善供養を勤めます。これは中国の儒教の教えから出たともいわれていますが、日本の仏教でも風習となっており、各地方で行われています。
また百ヶ日忌は別名「卒哭忌(そっこくき)」とも言われており、大切な人を亡くした悲しみに一旦区切りをつけ、遺された方々が故人を想い泣く事をやめて、新しい環境を受け入れて前向きに毎日を過ごしなさいという教えが込められている日でもあります。



(4)祥月命日忌(しょうつきめいにちき)

毎月の命日に対して、その人の亡くなられた月の命日というのは年一回しかありません。これを「祥月命日」と呼びます。
例えば十月五日に亡くなられた人の「祥月命日」は、毎年の十月五日になり、その日に追善供養を勤めます。



(5)初盆(はつぼん)

    新盆(しんぼん・にいぼん・あらぼん)

亡くなられてから四十九日が過ぎた後に、初めて迎えるお盆です。



(6)年忌(ねんき)
    年回忌(ねんかいき)

亡くなられてから一定の決まった年に迎える祥月命日を年忌・年回忌と呼び追善供養を勤めます。

一周忌(いっしゅうき)…亡くなられた翌年の祥月命日

三回忌(さんかいき)…亡くなられた翌々年の祥月命日

三回忌からは、亡くなられた年を数に入れて数え、その年の祥月命日が、年忌、年回忌になります。七回忌、十三回忌、十七回忌、二十三回忌、(二十五回忌)、二十七回忌、三十三回忌、三十七回忌、四十三回忌、四十七回忌を経て五十回忌となり、更には百回忌を行う場合もあります。


また宗祖や開祖などは、特別に五十年ごとに年忌を行うこともあります。これを遠忌(おんき)と言います。

※地域の風習やしきたりにより、弔い方も様々であるため、判らない場合は先ずは菩提寺にご相談ください。


 〈顕本法華宗 法式研究所〉

“仏事あれこれ”については、総本山妙満寺第302世貫首 古瀬堅徳(日宇)猊下(1917~2003)著書、『法事と戒名のすべて』(有)技興社発行を参考に掲載しています。

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