本文へ移動

信仰と家庭生活


日本に伝来した仏教は、時代の移り変わりと共に様々な宗派、門流に分かれてきました。


鎌倉時代後期にご活躍された日蓮大聖人を宗祖と仰ぐ門下の教団でも、私達の顕本法華宗(京都 総本山妙満寺)をはじめ、法華宗真門流、法華宗陣門流、法華宗本門流、本門法華宗、日蓮宗、日蓮本宗、本門佛立宗等や、その他在家教団、新興宗派を含めると多数あります。


また、第二次世界大戦後の混乱期を経て、今日までに、非常に多くの仏教系新興宗教も広がりをみせています。


今現在、顕本法華宗の檀信徒の方で、本当に自分は顕本法華宗の檀信徒であるという心得※をもたれて仏事を行っている方は果たしてどのくらいおられるでしょうか。



※信徒の心得

一、私たちの宗旨は、顕本法華宗です。

  顕本法華宗の総本山は、京都の妙満寺です。

一、私たちは、宗祖が定められた大曼荼羅を

  御本尊として、驚く仏・法・「三宝さま」に帰依します。

一、私たちは、「妙法蓮華経」

  日蓮大聖人の「御書」を教えの拠り所とします。

一、私たちは、お釈迦さまを教主と仰ぎ

  日蓮大聖人を宗祖、日什大正師を開祖として

  経巻相承を宗是とします。

一、私たちは、お釈迦さまの大慈悲を信じて、

  努めて菩薩の行を実践します。


宗教心とは

私たちは誰でも心のどこかに「苦しみ・悩み・迷い」があるものです。それらから逃れたいと願うのが人の心の常ですが、その心が “宗教心の芽生え“ であり、人は皆誰しもこの心を持っているのです。

人間の力の限界を知り、天地自然の偉大さに畏敬の念を持ち、現実世界で起こり得る生老病死の悩みや苦しみに対し、人間の苦悩を取り払おうとする行為が宗教です。そして、お釈迦さまのお説きになられた教えに帰依し、その教えを家庭生活・社会生活において正しく実践していこうとするのが仏教なのです。

お釈迦さまの教えに従い努力することにより、私たちは病魔におかされても心を狂わすこともなく、また他人に悪口をいわれ、または誤解され、迷惑をかけられても心を乱すことなく、穏やかな心持ちで他人を許せるようになるのです。

そして日々の生活の中で心から「ああ有難い、ああ私は守られている」という感謝の気持ちがわいてくると、信心に目覚め信仰心が深まるのです。


顕本法華宗の教え

私たち顕本法華宗は、永遠不滅の命を持たれたお釈迦様(久遠実成の釈迦牟尼仏)と宗祖日蓮大聖人、開祖日什大正師を三聖と仰ぎ尊び、お釈迦様がお説きになられた法華経と、宗祖がお弘めになられたお題目(南無妙法蓮華経)の信仰を正しく受け継ぎ実践し、開祖を信仰上のお手本として後世へ伝えている宗団です。


家庭内の信仰

家庭生活や社会生活において大切なことは、ひとりひとりの “心” の持ち方です。
この “心“ の拠りどころは信仰です。
家庭というのは木に例えると人の生活の根にあたります。この根がぐらついていては、いかに有能な人でも家庭内や職場においてよい働きをすることができず、他者とも心から尊重し合い、助け合うこともできません。

家庭の中における最も基本的な仏道修行に、食前・食後の「いただきます、ごちそうさまでした」の言葉を合掌して唱え、天地自然の恵みに「有り難い」と感謝するという行為があります。


その他にも、私たち仏教徒はお彼岸や盂蘭盆(うらぼん)といった仏教行事を通して、先祖に想いを寄せ、感謝の気持ちをもって日々の行いを反省し、精進するよう努めますが、仏事の意味や仏教由来の言葉を用いている理由をよく理解し、実践することも、仏教徒としてとても重要なことです。

近年「自分は無信仰だ」という方がおられます。

しかしながら、日本人が天地自然に畏敬の念をもって合掌する行為(日の出参詣や自然物への祈りなど)や、生活の中での様々な宗教行為(初詣、節分会、七五三など)を行っている姿を見れば、私たちは大変信仰心の篤い国民といえます。


日常生活の中で、皆さまが法事やお葬式、また仏事に触れたとき、それが縁となり仏教徒としての自覚が芽生え、そしてお釈迦さまの教えがその人の ”心“ の拠りどころとなれば大変嬉しく思います。


また宗門公式ホームページや総本山妙満寺公式ホームページ、『信徒必携』などを通じて、お釈迦さまと日蓮大聖人の正しい教えを受け継ぐ顕本法華宗の教えに興味を持ち、皆さまがより良い人生を送る一助にしていただければ幸いです。


 〈顕本法華宗 法式研究所〉


“仏事あれこれ”については、総本山妙満寺第302世貫首 古瀬堅徳(日宇)猊下(1917~2003)著書、『法事と戒名のすべて』(有)技興社発行を参考に掲載しています。

TOPへ戻る